The Pioneer of V8 Bentleys -- 1960 Bentley S2 Saloon HISTORY
1960 Bentley S2 Saloon HISTORY
The Pioneer of V8 Bentleys
いまなお続くV8ユニットの始祖としてデビューしたS2。ここではそのSタイプシリーズの誕生から終焉までの歴史を細かく追っていくことにしたい。
text:Hiromi TAKEDA
隠れた銘機
去る2008年秋のパリ・サロンにてベントレーは、わずか150台の限定生産となる“アルナージ・ファイナル・シリーズ”を発表した。ベントレー・サルーンのフラッグシップとして1998年にデビューして以来、超高級車市場のトップに君臨し続けてきたアルナージ。その最終章に相応しい最上級の仕立てが施されたモデルである。しかし、2009年から正式に発売されるこの究極的モデルは、アルナージ系の終焉を飾ると同時に、長らくベントレー各モデルのパワーユニットとして君臨してきた、伝統のV8エンジンの50周年を飾るモデルでもあるのだ。
現行の“アルナージT”、“アルナージ・ファイナル・シリーズ”に搭載されるV8ユニットは、最新のターボテクノロジーの助けを借りて507ps/4200r.p.m.のパワーに102kg-m/3200r.p.m.のトルクを発生。さらにシリーズいちの高性能クーペ“ブルックランズ”では、実に537psの最高出力、107kg-mの最大トルクを発揮する。しかしこのV8ユニットはもとをただせばいまから50年前の1959年に、クラウドⅡ/S2用のパワーユニットとして生を受けもので、パワーソースの存在感をことさら強調してこなかったベントレーの歴史の中では、これまであまり取り上げられてこなかった、“隠れた名機”なのだ。
ベントレー×8気筒
1931年以来、ロールス・ロイスのパートナーとなっていたベントレーが、第二次大戦後初のモデル、そして初の全鋼製スタンダードボディを持つモデルとして1946年に発売した“ベントレー・マークⅥ”と、その発展型“Rタイプ”は、アメリカをメインとする戦後の経済情勢に適合したモデルとして、総生産台数で7000台を遥かに超えるヒット作だった。
しかしマークⅥ系は、もとはといえば戦前型の設計、レイアウトをベースに徹底的なリファインを加えたもの。’50年代半ばの常識では旧態化が隠しきれないのも実情だった。この時期、イギリス輸出産業の“尖兵”として外貨獲得の至上命令を課されていたR-R/ベントレーにとっては、北米市場の嗜好に合う8気筒ユニットを持つ上に、モダンなボディを持つ新型車を投入することは、まさに会社の存亡をも左右しかねない急務となっていたのだ。
こうして1955年春には、こちらも大成功作となる姉妹車“R-Rシルバークラウド”/“ベントレーSタイプ”がデビューを果たすことになるのだが、そのパワーユニットは直列6気筒Fヘッドの4887cc。つまり、Rタイプ・サルーン/Rタイプ・コンチネンタルの最終型用ユニットをそのまま踏襲していた。これは、新たな8気筒エンジンの開発が間に合わなかったための、いわば“苦肉の策”だったのである。
のちにR-Rシルバークラウド/ベントレーSとなるプロジェクトは、当初“ベントレー8(またはⅧ)”なる社内コードで開発されていたのだが、当初このプロジェクトについては、R-RファンタムⅣと同じ、“B80”型5665cc直列8気筒ユニットの搭載を真剣に論議していたという。このエンジンは、第二次大戦を間近に控えた1938年に、ロールス・ロイスが開発した3種の軍用エンジンに端を発する。直列4気筒2.8リッターの“B40”、6気筒4.5リッターの“B60”、そして8気筒の“B80”である。“Bレンジ・エンジン”の名称とともに知られるこれら一連のユニットは、3機種ともに共通のボア×ストローク(88.8×113.4mm)を持つことからもわかるように、コンポーネンツの共用化を図った、いわゆる“モジュラー設計”だった。シリンダーヘッドは、吸気がOHV/排気がサイドバルブのFヘッドである。
R-Rの技術陣は、この3種の“Bレンジ・エンジン”のうち、B60型エンジンを戦後のマークⅥから来るべき新型Sタイプ用に至るパワーユニットの基本形とする一方で、前述の通りB80型エンジンもベントレー乗用車用のパワーソースとして使用する計画も進めていた。戦後R-R/ベントレーの新ラインナップ計画にて、ベントレー・ブランドの新たな最上級モデルとなることが期待されていた“シルバー・リプル”プロジェクトがそれである。そして彼らは、第二次大戦中にB80型直列8気筒を搭載する試作車を、あくまで純粋な実験車輌として1台のみ製作することになった。戦前型のベントレー・マークⅤシャシーを流用した、“スコールドキャット(Scald Cat=やけどしたネコ)”である。
スコールドキャットはその名のとおり、まるでやけどしたネコのごとく突っ走るような、強烈な動力性能を披露した。ところがこの試作車は、B80エンジンの発生するパワーが旧式なマークVシャシーのポテンシャルを完全にオーバーしていた上に、もともと大型軍用車用であったがゆえの過大なエンジン重量とブロックの長いストレート8レイアウトの弊害が祟って、ハンドリングはベントレーの要求するレベルにまったく到達していなかったのだ。
そこで、乗用車への転用を図るに当たってアルミブロック化も検討されたというが、メカニカルノイズをベントレーの基準値に収めることが不可能と判断、断念するに至ったという。このような経緯から結局スコールドキャット、そして“シルバー・リプル”計画もシリーズ生産化に移されることなく、残念ながら“お蔵入り”となってしまったのである。
他方、“ベントレー8”プロジェクトでは、R-RファンタムⅢや航空機用エンジンで既に確たる実績のあるV12エンジンの新規開発も検討されていたのだが、“スコールドキャット”が酷いハンドリングに苦しめられた教訓から、巨大な12気筒エンジンの可能性は早々に潰えることになった。加えて、北米市場においてV8の人気が高い事情を勘案した結果、もっと軽量かつ近代的なV型8気筒エンジンを開発して、新型車に搭載することが決定されたという。
こうして“ベントレー8”プロジェクトは、完全新設計のV型8気筒の搭載を前提に、R-R社正規の新型車企画に昇格。戦後に同社の設計・開発マネージャーとなったW.A.ロボサムの指揮のもと、開発が急ピッチで進められた。しかしこのV8ユニットの開発が間に合わないまま、シルバークラウド/Sタイプは生産化に至ったのである。
L410ユニットを得たSタイプ
このような経緯ののちシルバークラウド/Sタイプは、デビューから4年を経た1959年の春に、念願のV8ユニットとともに、それぞれ“シルバークラウドⅡ”/“S2”へ進化を遂げる。シルバークラウド系にとっては、待ちに待った“真打”の登場である。
のちに“L410”のコードネームがつけられ、様々な改良を経て21世紀にまで延命が図られることになる新型V8ユニットは、W.A.ロボサムが1955年に退職したのち、シルバークラウド/Sタイプ開発の途中からロールス・ロイス社の開発ティームの長となったエンジニア、ハリー・グリルズが主導となって設計が立ち上げられたといわれている。
グリルズは、もともとR-R社の航空エンジン部門でキャリアを重ねてきたエンジニア。それゆえか、新しいV8ユニットは航空機用レシプロエンジンのテクノロジーを引用した、総アルミニウム製だった。
新型V8ユニットの開発がスタートした当初は、B60系6気筒Fヘッドの最終型(4.9リッター)と大差のない5.2リッターの排気量設定で開発が進められていたが、絶対的パワー/トルクの不足に対応する上に、将来の発展性を考慮した結果、排気量は約1リッターアップの6230ccで進められることになった。バンク角はV8としてはコンベンショナルな90度。ヘッドは戦後R-R/ベントレーの定石たるFヘッドを捨て、プッシュロッド式OHVとされた。
また、ボア×ストロークは104.1×91.44mmと、R-R/ベントレーの乗用車用エンジンとしては史上初のオーバースクウェアになった。さらに、第二次世界大戦前のR-RファンタムⅢ用のV12前期型にて初導入されつつも、熟成不足のため後期型では放棄されてしまった油圧タペットも、再検討と熟成を経て、約20年ぶりに復活を遂げることになった。
ヘッド/ブロックともにアルミ化されたことで、シリンダーが2気筒分多く、排気量も大幅に拡大されていたにもかかわらず、新しい6.2リッターV8 OHVユニットは、従来の直列4.9リッター6気筒Fヘッドユニットよりも、ごく僅かではあるが軽量に仕立てられていた。とはいえ、その総重量は400kg以上にも達する超ヘビー級であることに変わりはない。キャブレターはSU製13/4インチがツインで装着され、そのパワースペックについては、R-R社の伝統に従って未公表。“必要にして充分”と言うキャッチフレーズのみだったが、当時の専門誌では200HPを若干超える程度のものだったと推測している。
また、トランスミッションについてはベントレー伝統のマニュアル4段が廃止され、コラムシフトのハイドラマティック4段ATのみとされることになった。そして、新しいV8エンジンとの組み合わせにより、最高速は従来型6気筒を搭載するクラウドⅠ/Sタイプ時代の106mphから113mphにアップ。加速タイムもSS1/4マイル(0-400m)で18.8秒から18.2秒に向上していたのである。
一方、シルバークラウド/S2への進化に当たってのエクステリア上の変化は、その内容の進化に反して、ほとんど皆無に等しいものであった。数少ない例外は、ラジエーターグリル左右のエアインテークの意匠が少しだけ変更されたこと。そして、トランクリッドに取り付けられる車名のエンブレムのみだったのだ。しかしその傍らで、エンジンフードの下に隠れた変更点は決して少なくない。
まずは前後長が短い一方で幅の広いV8エンジンの形状に合わせて、エンジンルームのレイアウトを大幅に変更。トランスミッションも若干前進させられた。また、シルバークラウド/Sタイプで初めてオプション採用されたエアコンディショナーを標準装備化するために、ベンチレーションシステムに冷房装置組み込みのための設備が施されたほか、パワーステアリングも全車に標準装着されることになった。
こうしてベントレーSタイプの決定版とも言うべきS2は、そのV8エンジンの素晴らしさも相まって、北米を中心とする市場からも好意的に受け止められることになった。そして1962年10月にベントレーS3へと進化するまでに、1863台の標準サルーンSWB版(その内15台がH.J.マリナー製ドロップヘッドクーペ)がクルー工場をラインオフ。さらに57台のLWB版(その内6台がスペシャルボディ)がパークウォード工場にて製作されることになった。
他方、標準スティール・サルーンがSタイプへと進化を遂げたのちも、ベントレーの栄光を体現したスポーティモデルは当然ながら継承、標準のSタイプの発表と時を同じくする1955年春から発売されることになった。それが有名な“Sタイプ・コンチネンタル”なのだが、このモデルについては、またの機会に改めて解説させていただくことにしよう。