2009 Pebble Beach Concours d'Elegance
2009 Pebble Beach Concours d'Elegance
今年のペブルビーチの主役は、やはりベントレー
59回目を迎えた、伝統のコンクール・デレガンス。
ペブルビーチ・コンクール・デレガンスのフィーチャーメイクスに選ばれたのは今年で創業90周年を迎えたベントレーであった。ここでは、会場に集ったその全てをご紹介することにしたい。
text:Hiromi TAKEDA 武田公実
北米カリフォルニア州モンテレーのペブルビーチは、かつては全米オープンの会場となり、現在でも"US-PGA選手権AT&Tナショナル・プロアマ"が行われるなど、ゴルフファンにとっては、聖地とも言うべき名門ゴルフコースとして世界的に認知されている。しかし、我々ヒストリックカーのエンスージァストにとっての"ペブルビーチ"は、一般とは違った意味合いを持つ。今やエンスージァストにとっての“夏の風物詩"とも称される"モンテレー・クラシックカー・ウイークエンド"。その最大のイベントのひとつ"ペブルビーチ・コンクール・デレガンス"の会場として知られているのである。
1950年に第1回が開催されて以来、今年で59回目を迎えるこのコンクールは、継続して行われているものとしては世界最古。格式の上では現在世界の最高峰とされるイタリアの"コンコルソ・デレガンツァ・ヴィラ・デステ"と同等。さらにその規模まで考慮すれば、間違いなく世界最高のコンクール・デレガンスと称しても間違いのないものなのだ。
ペブルビーチ・コンクール・デレガンスでは、その年にジュビリーイヤーを迎える、あるいはキャッチーな話題を持つメイクスを、各年の"フィーチャーブランド"として選出して、ショーの主役とするのが通例となっているが、今回そのフィーチャーブランドに選ばれたのが、今年で創立90周年を迎える我らがベントレー。特に新型"ミュルザンヌ"のワールドプレミア会場となったことは、既に世界中のメディアでも報じられたとおりだが、ほかにもコンクールのコンペティション部門にベントレーだけのワンメイク・クラスが設けられたり、公式パンフレットの表紙やポスターにも、"8リッター"や"Rタイプ・コンチネンタル"を描いた美しいイラストが使用されたりするなど、この日のペブルビーチの主役は、明らかにベントレーたちだったのである。
今回のペブルビーチ・コンクールにエントリーされたベントレーは、戦前型ベントレーのために特別に用意された"クラスF"に正式出品されたものだけでも31台。その内訳は、W.O.時代の"6 1/2リッター"によるクラスF-1に7台。ベントレー史上最大のモデルとして有名な、"8リッター"のクラスF-2には4台。ベントレー・ワークスティーム車と、そのほかのレーシングモデルによるクラスF-3には13台(!)。そしてR-R傘下入り後に製作された"ダービー・ベントレー"各モデルによるクラスF-4にも、7台のクルマがエントリーされるに至った。
いずれのクルマも、いかなるコンクール・デレガンスに出品したとしても充分にショーの主役となり得るような珠玉のモデルばかりなのだが、そんな中でもW.O.時代の’30年に、ル・マン24時間レースで活躍した有名なワークスカー、"オールド・ナンバー1/2/3"、あるいはベントレー・ボーイズのティム・バーキンが製作させた"バーキン・ブロワー1/2/3"が、それぞれ3台ずつ全車集合したのは、まさに圧巻と言うほかないだろう。また、’50年のル・マンで活躍した伝説の"エンブリコス・クーペ"など、幻と言われるベントレーも出品され、ペブルビーチ・コンクールの"世界最高峰"たるゆえんを、世界中のファンに見せつけることになったのだ。さらに、ベントレー限定の"クラスF"のほかにも通常の各クラスにベントレーたちがエントリー。それぞれ素晴らしい成績を収めることになったのだ。
ちなみに、今回の最優秀賞である"ベスト・オブ・ショー"に輝いたのは、ロバート・M.リー氏が出品した、1937年型ホルヒ853Aフォール&ルールベック製シュポルトカブリオレだったが、この日ペブルビーチの美しいロケーションに置かれたベントレーたちは、その美しい優勝車にも負けないくらいの存在感を放っていた。かくして世界最大のコンクール・デレガンス、ペブルビーチ・コンクール・デレガンスの59年に及ぶ歴史に、ベントレーによる華麗な1ページが加えられることになったのである。
※「フライングB No.003」(2010年刊)に掲載された記事に加筆修正しました。掲載された情報は、刊行当時のものです。
世界屈指のコンクール・デレガンスだけあって審査は入念。会場には必ず自走で入場しなければならないなど、見た目だけでなく機関のコンディションに至るまで厳しいチェックが行われる。よって世界中のセレブがドレスアップして集まる会場は、独特の緊張感に包まれる。
1929 4 1/2 Litre "Birkin Blower 1"
"ベントレー・ボーイズ"の代表格として知られるティム・バーキンが、1930年のル・マンのため、自ら後援者を探して製作させた"ブロワー・ベントレー"。このボディは、のちにティム自身がブルックランズのスピードトライアル用に改装した有名なものである。
1929 Speed-Six Vanden-Plas
Dual Cowl Tourer
"ベントレー・ボーイズ"のひとり、バーティー・ケンジントン・モイアが、ヴァンデン・プラに架装させた61/2リッター"スピードシックス"ダブルカウル・トゥアラー。後席にもウインドシールドを持つ魅力的なボディには、クラスF-1の第3位が与えられた。
1930 6 1/2 Litre H.J.Mulliner
Drophead Coupe
クラスF-1で堂々の第1位に輝いた、H.J.マリナー製の6 1/2リッター・ドロップヘッドクーペ。W.O.時代のベントレーは、あくまでスパルタンなリアルスポーツの印象が強いようだが、このような瀟洒でエレガントなボディもまた、間違いなくベントレーである。
1922 3 Litre Parkward Tourer
クラスF-3にエントリーされたこのクルマは、第1回ル・マン24時間レースに出場したベントレーそのもの。ベントレー・ボーイズ創始者のひとり、ジョン・ダフ大尉がベントレー社のテストドライバーフランク・クレメントと組んで、総合4位に入賞した歴史を持つ。
1928 4 1/2 Litre Harrison Flexible Coupe
W.O.時代のヴィンテージ・ベントレーに架装された、ユニークなボディの最たる例。スコットランド在住の顧客が自国の予測困難な気候に備えて、ハリスンという今ではあまり名を知られていないコーチビルダーに製作させた、対候性を重視したクーペとのことである。
1928 4 1/2 Litre Vanden-Plas Le Mans Sports
1928年に製作されたこの41/2リッターは、同年のアルスターTTでデビュー。翌'29年のブルックランズ"ダブルトゥエルヴ"を経て、同年のル・マンではクレメント/シャサーヌ組のドライブで4位に入賞している。その後もブルックランズを中心に活躍を続けた。
1928 4 1/2Litre Vanden-Plas Le Mans Sports
もともとティム・バーキン所有していたこのクルマは、いくつかのレースに出場したのちに、リアをボートテールに改装。フランスのモンレリー・サーキットで24時間を平均スピード記録に挑戦、89.73mphという当時の世界記録をマークしたヒストリーを持つ。
1929 4 1/2 Litre"Birkin Blower 3"
ベントレーの象徴的存在、"ブロワー"の中でも特に有名な個体とされるこのクルマ。信頼性に悩まされ、複数のレースで最速ラップを計上しつつも勝利には至らなかったが、1930年のベルファストGPでバーティー・ケンジントン・モイアの手で2位に入賞した。
1929 4 1/2 Litre "Birkin Blower 2"
バーキン・ブロワーのもう1台は、1930年のル・マンでバーキン自身が乗った"バーキン・ブロワー2"。今回のペブルビーチは"オールド・ナンバー1/2/3"と同様、バーキン・ブロワーも3台すべてが揃い踏み。やはり世界最大のコンクールは素晴らしい。
1929 6 1/2 Litre H.J.Mulliner Sedanca de Ville
もともとベントレーの高級車として製作された6 1/2リッターには、このような豪壮なボディが架装される例が多かったのだが、のちに人気の高いル・マン・スタイルに改装されてしまうことも多々あったせいか、オリジナルボディが残されているものは極めて希少。
1929 Speed-6 "Old Number 1"
1929/30年のル・マンに優勝した最も有名なワークスカーが"オールド・ナンバー1"。ル・マン撤退後は、このクルマで2度に亘って優勝したバーナード大尉がブルックランズ用に改装してしまったため、実はエンジンもシャシーもル・マン当時のものではない。
1930 Speed-6 Litre H.J.Mulliner Drophead Coupe
今回クラスF-2で第2位入賞を果たしたシックなスピード6は、もともとロンドンの裕福な女性オーナーが、H.J.マリナーに製作させたdhc。1992年の"ルイ・ヴィトン・クラシック"コンクール・デレガンスに於いても素晴らしい成果を挙げた個体である。
1930 Speed-6 "Old Number 3"
1930年のル・マン24時間にディヴィス/C.ダンフィー組のドライブで出場、21週目にリタイアを喫した"オールド・ナンバー3"。ナンバープレートも当時のまま残っている。ニックネームに因んだわけでもないだろうが、今回のクラスF-3では3位に入賞した。
1930 Speed-6"Old Number 2"
1930年のル・マンで"オールド・ナンバー1"に次ぐ2位入賞を果たしたワークスカー。今回は、"オールド・ナンバー1/2/3"のすべてが揃ったことになる。主催者は「日本にある"オールド・マザー・ガン"にも出場して欲しかった」と残念がっていたという。
1931 8 Litre Vanden-Plas Tourer
8リッターで競われるクラスF-2の2位入賞車。同クラスの第1位である8リッターと同じくヴァンデン・プラ製のトゥアラーではあるが、もう1台がル・マン・スタイルに近いのに対して、こちらはヴィンテージ期の高級ツーリングカーの雰囲気が横溢している。
1934 3 1/2Litre Vanden-Plas Tourer
1931年にR-R傘下に入ったのち、R-Rダービー工場で製作された"ダービー・ベントレー"で競われるクラスF-4にて第1位に輝いた、'34年型31/2リッターのヴァンデン・プラ製トゥアラー。ダービー・ベントレーの中でも最も美しいボディのひとつと言われている。
1930 Speed-6 Gurney & Nutting Coupe
"ブルートレイン"の愛称でも知られるこのクルマは、ベントレー社会長でベントレー・ボーイズ代表格のバーナート大尉が製作させたワン・オフ。ただし、大尉が有名なブルートレインとの対決で用いたのは別の6 1/2リッターで、こちらは記念に製作したものという。
1931 8 Litre Vanden-Plas Tourer
W.O.ベントレー自らが製作した最後にして最強のベントレーが8リッター。生産期間の短さゆえに、台数もごく少ない。クラスF-2を勝ち取ったこのヴァンデン・プラ製トゥアラーのボディは、同社が製作していたル・マン・トゥアラーの息吹を明らかに感じさせる。
1931 8 Litre H.J.Mulliner Weymann Paneled Saloon
クラスF-2で3位入賞したH.J.マリナー製の8リッター・サルーン。"ウェイマン・パネルド"というのは、ボディパネルがC.ウェイマン特許の羽布張り製法で作られていることを示す。当時としては軽量だったが、その構造ゆえに現存している車輌はごく少ない。
1933 3 1/2 Litre Offord Sports
珠玉のW.O.各車を退けて、ワークスカーとレーシングモデルが選考対象となるクラスF-3を制したのは、R-R社がE.R.ホールの依頼に応えて、1933年型ダービー3 1/2リッターをベースに翌’34年のトゥーリストトロフィー・レースのために製作したスペシャル。
1934 3 1/2 Litre Thrupp & Maberly Drophead Coupe
ダービー・ベントレーがその美を競うクラスF-4で2位入賞したこのクルマは、クローズド/ドライバー頭上のみオープン/フルオープンの3つのスタイルが選べる"3ポジション"のトップを持つ。同時代のキャデラックの10倍もの手間と工賃が掛かるとされた。
1938 4 1/4 Litre Carlton Drophead Coupe
ダービー時代のベントレー41/4リッターに、ロンドンのカールトンが架装したドロップヘッドクーペ。スイス人の現オーナーの手に亘る前には、30年以上の長きに亘ってアメリカのR-Rオーナーズ・クラブ会長が大切に保有していた個体とのことである。
1935 3 1/2 Litre Bertelli Coupe
ヴィンテージ期にアストン・マーティンを率いたアウグストゥス・ベルテッリの弟で、同時代のアストンのデザインを一手に手掛けたエンリコ・ベルテッリが、兄とともにアストンを退職したのちに自らコーチビルダーとして製作した、非常に珍しいクーペである。
1936 4 1/4Litre Vanden-Plas Tourer
クラスF-4で3位入賞を果たした4 1/4リッターのヴァンデン・プラ製トゥアラー。同クラス1位の3 1/2リッターにごく近いボディだが、この個体は有名なレーサーで当時の速度記録保持者でもあるマルコム・キャンベル卿のためにワン・オフで製作されたもの。
1936 4 1/4Litre Vanden-Plas 2-Seat Tourer
こちらは同じヴァンデン・プラ製トゥアラーでも、2シーターボディを持つ希少な個体である。ヨーロッパで複数のオーナーのもとを渡り歩いたのちに、1959年にアメリカに上陸。その後'70年に入社した現オーナーは、以来40年近くも所有しているという。
1937 3 1/2 Litre Gurney & Nutting Sedanca Coupe
いかにもダービー・ベントレーらしい瀟洒なボディは、この時代にR-R/ベントレーのボディを数多く手掛けたガーニー&ナッティングの作品。戦後の"タルガトップ"の先駆けとも言うべきデタッチャブルトップと、装飾的なランドレージョイントが特徴である。
1958 S1Continental Parkward Drophead Coupe
S1コンチネンタルのパークウォード製dhcは、Rタイプ・コンチネンタル時代のボディが、事実上そのままのスタイルで踏襲された。今回出品された個体は、現役時代だった1963年のペブルビーチ・コンクール・デレガンスで優勝を果たした車輌そのものという。
1965 S3 James Young LWB Saloon
Sタイプ・サルーンのロングホイールベース版は、標準ではパークウォード製の全鋼製ボディを持つが、ごく少数ながらジェイムズ・ヤングなどのコーチビルダーが特製ボディを架装した。この個体は、195cmという長身の初代オーナーのためにルーフを高めている。
2003 EXP Speed-8
2001年からル・マンに復帰したスピード8は、参戦初年度から3位入賞を果たし、翌’02年も4位。そして2003年にはクリステンセン/カペッロ/スミス組のドライブで、ベントレーに実に73年ぶりとなる総合優勝をもたらした。このクルマは'03年の優勝車。
1954 R-Type Continental
H.J.Mulliner Sports Saloon
今回、各クラスに珠玉のベントレーを多数持ち込んだスイスのコレクター、ピーター・G.リヴァノス氏のRタイプ・コンチネンタル。激戦区である「戦後のツーリングカー」クラスで堂々の1位を獲得したことからも、そのコンディションの素晴らしさが想像できる。
1939 4 1/4Litre "Embricos" Pourtout Coupe
ギリシャの造船王アンドレ・エンブリコスの要請に応え、41/4リッター用シャシーにフランスのカロジエ・プールトーが'39年に製作した空力的クーペ。戦後の'49年ル・マンに出場し、値千金の総合6位に入賞。翌’50年も14位、さらに'51年も22位で完走した。
1951 Mark-VI Facel-Mataron Coupe
戦後ツーリングカー・クラスで2位入賞を果たした仏ファセル・メタロン製のマークVIYクーペは、ファセルの創始者ジャン・ダニノスが夫人のために製作したワン・オフ。こののち、1954年から自社で生産したファセル・ヴェガCVSに良く似たボディを特徴とする。