DRIVING IMPRESSIONS
Bentley Brooklands
Elegance, beauty, strength.
上品さと美しさと逞しさと
ベントレーにとってBROOKLANDS(ブルックランズ)という名は、特別な意味をもつ。なぜならおよそ100年前に造られた、この英国最古のサーキットのブリックヤードには、数々のベントレー・ボーイズたちが輝かしい歴史を刻んできたからだ。そして彼らは、2007年に発表した伝統のV8を搭載する美しいクーペに、その栄光の名を冠した。それがどういう意味をもつのか——答えはもう乗る前から出ているのかもしれない。
text: Kenji SASAMOTO 笹本健次
聖地ブルックランズ
ヒースロー空港から南西に10数キロ先のテムズ河のほとりに、英国最古のサーキットがある。その名はブルックランズ。英国で最初に飛行機が飛び立ったという、英国航空産業発祥の地でもあるこの場所に、サリー州の大地主であるヒュー・ロックーキングが、最新鋭の自動車専用コースを建設したのは、1907年のことであった。
サーキットといっても、当初造られたのは、1周4453mのオーバルコース。ものの本によると、ブルックランズは、インディアナポリスやモンレリーといった名だたるコースのレイアウトに多大なる影響を及ぼしたとある。
若かりし日の白洲次郎もドライビングを愉しんだというこのコースでは、マーガレット・アレンのドライブするベントレー・ブルックランズが、そしてティム・バーキンのブロワー・ベントレー・スペシャルといった面々が、数々の速度記録と伝説を作り上げてきた……。
ブルックランズ・サーキットの創設から100年の月日が過ぎた2007年のジュネーヴ・ショーで、ベントレーが“ブルックランズ”という名を冠した新しいクーペを発表したと聞いたとき、私はベントレー最高峰のクーペが誕生した、ということを直感した。そしてそれに乗れる日がくることを心待ちにしていた。
濃厚なベントレー
「自動車作りは文化なんだなあ」と、私はこのベントレー・ブルックランズをドライブしてつくづく感じた。ブルックランズには他のクルマにない特別な魅力があって、それは他のメーカー、とくにイギリス以外の国のメーカーには到底真似のできないものだと思ったからだ。
ご存知のとおり、現在ベントレーのモデル・ラインナップには2本の柱がある。1本はベントレーがフォルクスワーゲン・グループの傘下に収まってから登場し、現在のベントレーの成功を決定づけた“コンチネンタル・シリーズ”。そしてもう1本はアルナージに代表される伝統的なベントレーたちだ。これらのモデルはいずれもフライングBを戴いてはいるものの、根本的にまったく違うキャラクターを持つ、と言って差し支えない。
コンチネンタル・シリーズはパワーユニットに狭角V型12気筒、つまりW12エンジンを搭載し、ドイツ流のクオリティ意識を導入した新鋭モデルだ。その完成度は素晴らしく、少し前のイギリス車にありがちな緩さが微塵もないというのは、これまで散々味わってきたつもりだ。しかし一方、伝統のV8を積むアルナージ系には、ベントレーの伝統に則った独特の深い味わいがあるのもまた事実だ。いまだ世界のトップレベルにある高級感と、上質で大人びたスポーツマインドに「これぞベントレー」という想いを強くする好事家も多い。
では、このブルックランズはどうか。結論からいうと、これは紛れもないベントレーである。それも、クルーの職人たちの想いが、ひとつひとつ込められた、実に“濃厚な”ベントレーである。
以前のコンチネンタルRとは、趣の異なる、重厚でいながら美しいシルエットを描くボディは、なるほど実に立派な体躯を誇っているが、見る角度によって、力強くも見えたり、繊細で上品に見えたりと、様々な表情をみせてくれる。丁寧に造り込まれたボディの仕立てと、非常に上質な塗装が、そんな印象に一役買っているのは間違いないところだろう。
しっかりとした重みがあり、触れるだけで厳かな気持ちになるドアを開けると目に飛び込んでくるインテリアは、このクルマのハイライトのひとつだ。なんという贅沢さ、なんという存在感。ウォルナットとコノリーレザーさえ使えば高級などと思っているどこぞのクルマなど足元にも及ばないとは、まさにこのことだ。人が見て落ち着くメーターやスイッチの配置、座った瞬間にリラックスできるシートの手触り、そして素晴らしいセンスの配色。コックピットという舞台をいかに演出するべきか? ということを、クルーの人々は、その知識と経験から完璧に分かっているのだと思う。こればかりは、ただただ圧倒されるしかない。
スペックには現れないこと
アルナージ系に搭載されるベントレーのV8エンジンには、アルナージRとアズールに搭載される、最高出力457ps、最大トルク89.2kg-mを発揮する6747ccユニット、そしてアルナージTに搭載される、排気量は同じながら507ps/102kg-mを発揮するハイチューン版という2種類のチューニングが存在してきた。
今回ブルックランズのノーズに収まるV8は、いわば“第3のV8”というべきもので、排気量が6761ccに拡大され、その最高出力はなんと537ps、最大トルクも107kg-mを発揮する。組み合わされるトランスミッションはZF製の6段A/Tで、100km/h巡航時の回転数は、わずか1580〜1600r.p.m.程度にすぎない。そのようなシチュエーションにおいてブルックランズのV8は、静かで粒の揃ったサウンドを奏でているのだが、いざスロットルペダルを踏み込み、レヴカウンターの針が4000r.p.m.を超えると心を震わせるような猛烈なエグゾーストノートが響き渡る。いやはや、そのサウンド・チューニングは見事なものだ。
と、これを読んでブルックランズがパワーを誇るだけのモンスターだと思ったら大間違いだ。むしろ感銘を受けるのは、この怪物的パワーを御するシャシーの方にある。
今回試乗会の舞台となったのはフィレンツェの中心から30〜40kmほど南に下ったシエナという土地で、周辺にはイタリアの富裕層が構えるヴィラが点在している。道はことさら狭い、ということもないのだが、B級国道が多く荒れているところも多い。しかしながら、そんな舞台においてもブルックランズはその容姿どおりの優雅な振る舞いを崩さない。2655kgという超重量級ボディと537psのハイパワーなエンジンの組み合わせにも関わらずだ。高速巡航をしていてもキャビンは平穏そのもので、不快な突き上げなどはまったくない。
それは余裕のあるボディ剛性や、秀逸な脚まわりに寄るところが大きいことに疑いの余地はないところだ。その一方で私が注目したのは、そのステアリングフィールである。お世辞にもクイックとはいえないそれは、スローでありながら実にスムーズで、入力に対する応答性がいい。この辺りが彼らの絶妙なサジ加減なのだろう。おかげでクルマ全体のフィールには統一感があって、ドライブは快適で楽しいものになっている。
ベントレーのエンジニアたちと話してみても、彼らはこの走りに対しては絶対の自信を持っているように見受けられた。確かにパワートレイン、シャシー&サスいずれも欠点はひとつもない。完璧だ。
ベントレーの本流
ハードウェアとしては完璧な佇まいを見せる一方で、ブルックランズのもつ技術的なトピックは意外にも少ない。唯一最新モデルらしいのはカーボン/シリコン・カーバイド・ディスクブレーキが用意されることだが、あくまでオプション装備である。エンジニアの話ではサーキット走行など、常軌を逸した走りさえしなければ、クルマそのものと同程度の寿命(!)を持つという。フェラーリやポルシェのカーボン・ブレーキと比べると信じられないほどのロングライフだ。しかも制動時に不快な音もなく、確実に2.6トンもの車重を受け止める。
我々ジャーナリストは、新型車と聞くとプレスリリースに自慢げに書き連ねられた最新技術の数々を期待してしまうものだが、特筆すべき新技術を採用していないということが、実はブルックランズの真骨頂である。むしろ連綿と受け継いできたオーソドックスな技術を積み重ねて、ここまで完成されたクルマを作り上げたという事実にこそ驚くべきなのだ。こんな芸当を現在の自動車産業において成しえるのは、ベントレー以外にないだろう。
そう考えてみると、時計の世界で日本メーカーがどんなに精巧な時計を作り上げたとしても、スイスの時計メーカーの地位を脅かすことができないのと同じことが、自動車に関しても言えるのかもしれない。いまや英国資本の自動車メーカーは壊滅状態にあるといって良いが、その魂は確固たるものとして生き永らえているということなのだろう。
このブルックランズは3年間で550台の限定生産とアナウンスされている。とはいえ、発表の時点ですでに500台は売りきっているのだそうだ。確かに1台のブルックランズのインテリアに使われている本革は牛16頭分だという事実から考えても、大量生産などという言葉が最も縁遠いクルマであるのは間違いない。なにも少量生産=良いものというわけではないのだが、ベントレーのこうしたスタンス(いまや総生産台数が1万台を超えるに至ったが、拡大路線はとらず'08年はあえて9600台に押さえ、今後も1万台を越えるつもりはないという)が、彼らのブランド・バリューを支えているのは、疑いのない事実である。
確かに何度となく経営危機が囁かれたベントレーが、今日の隆盛をみることができたのは、コンチネンタル・シリーズの成功のおかげだ。しかしベントレーというブランドの本質的な思想は、この8気筒シリーズにこそ流れているといっていいだろう。今回、最新のV8モデルであるブルックランズに乗って、改めて“高級”というものがどういうことなのか、じっくり教えられた気がした。
彼らがそのペットネームに聖地の名を冠したのには、やはりそれ相応の覚悟と自信があったということなのだろう。
※「フライングB No.001」(2008年刊)に掲載された記事に加筆修正しました。掲載された情報は、刊行当時のものです。
メーターパネル・センターに収まるマルチファンクション・ディスプレーをはじめ、意外なほど近代的なコックピット。ウッドパネルは3種類を標準で、さらにマリナーオプションで6種類を用意。
アルナージ系に搭載されているパワーユニットをチューンしたV8ツインターボ。排気量は14ccとわずかにアップし、6761ccとなった。出力はアルナージTに比べ30ps、トルクで5kg-mも向上した。
伝統のフライングBを頂くノーズ。コンチネンタル系に装着されるバッヂとは趣きが違い、旧きよきクラフトマンシップの薫りがする。
クロム・パーツが多用されたセンターコンソール。スイッチ類は、感触、手応えまで吟味されている。またトランスミッションは新世代の6段A/T。
20インチホイールの内側にはオプション設定のカーボン/シリコン・カーバイド・ディスクブレーキが見える。ディスク径はフロント420mm、リア356mm。